実は私も坐骨神経痛に苦しんだ経験があります。今回は私が坐骨神経痛を経験したときのお話をしようと思います。
人の痛覚ってこんなにも痛みを感じることができるのか…
あの時の苦しみは今でもはっきりと覚えています。何を隠そう、私は坐骨神経痛を経験しています。それも、かなりの重度でした。座ると激痛、立っても激痛、歩くことも言わずもがな、という状態…唯一、横になると痛みを感じなくて済むのがせめてもの救いでした。
人はこんなにも痛みを感じることが出来るのか…激痛に苦しむ一方で、冷静な自分はそんなことを考えたり、女性のお産てこれより痛いのかな、なんて男の私には答えの出ない疑問について考えたりしていました。
ぎっくり腰回避のための運動習慣を始めました
当時私はぎっくり腰を初めて経験しました。右腰の痛みがひどく、体を動かすのも気合を入れて痛みをこらえながらでした。ぎっくり腰の痛みと大変さを痛感した私は、体のケアの必要性を痛感していました。
ぎっくり腰の痛みをもう経験したくないと始めたのが、ウォーキングです。歩くことで背骨や骨盤といった体の中心の骨格を使うことが出来るので、ぎっくり腰の原因である腰への疲労の蓄積を散らすことが出来ます。仕事が休みのときは必ず1時間弱程歩くようにして、腰に集中しやすい疲労を散らすようにしていました。
運動習慣のエスカレート
歩くのに慣れてくると、段々と歩くだけでは物足りなくなり、少しずつですがインターバルのようにランニングを取り入れるようになっていきました。運動に慣れてきますし、そのころになると腰の不安も無くなっていたので、私の興味は自分の体を鍛えていくことに移っていきました。数か月はそのような状態で、歩くこととランニングを交互に取り入れて運動していました。この運動を続けていくうちに、段々と歩くよりランニングをする時間の方が長くなっていき、ついには全区間をランニングでこなせるようになりました。しばらくはランニングができるようになったことが嬉しく、走ることを楽しんでいましたが、そこに新しいトレーニングの要素を取り入れたくなりました。筋トレです。
この筋トレでのミスが坐骨神経痛を誘発して私を長期間苦しめることになります。
自己流筋トレ
筋トレはランニングが終わった後に近所の公園で行っていました。道具を使う筋トレは煩わしかったので、自分の体重を使って行う自重トレーニングを行うことにしました。また、懸垂用の鉄棒や、ストレッチ用のベンチが設置されていたのでそれらを利用していました。筋トレメニューの中にスクワットも取り入れていました。
しばらくの間は自分で作ったメニューを淡々とこなしていて、休みの日には必ず朝に取り組んでいました。メニューをこなしていく中で、もう少し負荷をかけてもいいかな、とスクワットをジャンピングスクワットに変えてやったりもしていました。
そのうちに、右のお尻に違和感が出てくるようになってきたのです。
痛みから逃げて、激痛に捕まる
このときに気づけば良かったのですが、当時の私は体の信号に気づくことができませんでした。筋肉痛程度に捉えていたのです。しかしその違和感は少しずつ強くなっていて、おかしいな、とは思いましたがそのうち治るだろうと深くは考えていなかったのです。
ぎっくり腰の痛みを回避するために始めた運動習慣でしたが、気づかない間に激痛への道を歩んでいたのです。
そして突然、その瞬間がやってきました。
地獄の幕開け
坐骨神経痛経験は今までありませんので、右のお尻に違和感を筋肉痛程度に捉えていました。筋肉痛であれば、筋肉を鍛えて違和感が出ないようしなければ。私はより一層体を鍛えて筋肉を付けようと、自己流のトレーニングに取り組みました。
トレーニングをしているはずなのに、右のお尻の違和感が少しずつ強くなってきていました。おかしいな、と感じながらも、いつものようにランニングをしていました。しかしその日は違和感が強くてランニングを最後まで行うことが出来ませんでした。結局、途中でウォーキングに切り替えていつもの公園まで到着しました。
後は筋トレをやればその日のトレーニングは終わりです。一通りのメニューをこなして最後にジャンピングスクワットに取り掛かりました。いつものようにジャンピングスクワットをしていて、着地をしたその時でした。
ガクッ
はっきりとした場所は分かりませんでしたが、腰のどこかが着地をした瞬間にズレた感覚がありました。と、同時に今までの人生で味わったことのない激痛が突然、私の右足に出てきたのです。
坐骨神経痛との長い闘いの幕開けでした。地獄の日々の始まりです。
何をしても襲う激痛
その時から、何をしていても私の右のお尻から足にかけて激痛が走ることになります。
立っていても激痛、歩いても激痛、座ろうとすると千切れるような劇痛が出るので、座ることはできません。寝ているときと四つん這いになっているときは何とか痛みが出ないで済みました。
親に病院へ連れて行ってもらっても、待っている間に痛すぎてじっとしていられませんから、歩き回っていました。もちろん、歩いていても激痛が走ります。診察も寝転んで受けました。MRIでは腰椎にヘルニアが三か所見つかって、これが原因だろうと診断されました。
痛み止めとシップで様子を見てくださいと、判を押したような対応で終わり。もちろん坐骨神経痛の激痛は変わりません。痛すぎたので痛み止めをロキソニンに変えてもらったら、それは効果があったのが救いでした。激痛が痛みくらいまで減ってくれるので、何とか動くことができるようになりました。しかし、薬の効果が切れてくると激痛が戻ってくるので痛み止めを手放すことはしばらく出来ませんでした。
治療院巡り
やはり整形外科では埒が明かないと、坐骨神経痛に対応している治療院を探しました。当時私の地元で見つかったのは整骨院と鍼灸院で、知人にも評判が良い整骨院を紹介してもらいました。それぞれで筋肉が原因、股関節が原因、特に説明もなく施術される、気の流れが原因ということでしたが、結局私の坐骨神経痛には効果がありませんでした。
どうやら私の周囲に坐骨神経痛に対応できる治療院がないと分かったので、私は自分で治すしかないと、色々と情報収集を始めました。
坐骨神経痛の原因は複合的
私が行った治療院では原因と一つに絞っていましたが、私が当時調べた結果や今の治療家としての知識や経験からいうと原因は複合的で、連鎖的に作用して坐骨神経痛を引き起こしています。ですから、それらの要因を一つ一つクリアにしていって坐骨神経が痛みを出さないような体の状態を作っていく必要があります。そして、治すための魔法のような施術もありません。
激痛に苦しんでいましたが、治すためには一歩一歩地道に進んでいくしかないということも知りました。手術を受ければ一発で治るという話もありますが、治らない症例もありますし、私個人としては背骨をいじることに大きな抵抗がありました。
時間はかかりましたが、治りました
私の坐骨神経痛はかなりの重症でした。ですから、治るにも時間がかかりました。激痛の最中にいるときは、この痛みは一生治らないでついて回るのではないかと不安でした。それでも毎日、体操をしたり痛くても歩くようにしたりと、治すための取り組みは続けました。最初の数か月は激痛が変わらず、痛み止めを手放すことはできませんでした。
しかしそれでも辛抱強く治すための取り組みを続けていると、薄皮をはぐように激痛が弱くなってきました。それと比例して痛み止めの効果も出るようになり、薬が効いているときは痛みを感じなくなり、効果が切れても激痛までは行かなくなってきました。私の人生でこれほど“継続は力なり”を実感したことはありません。
さらに数か月、体操や歩くことを続けていると、痛みはあるけど痛み止めを飲むほどではないところまで回復してきました。痛みを感じながらですが歩けますし、立っていられますし、座れます。私は日常生活を段々と取り戻しつつあることが嬉しかったです。
そして、坐骨神経痛を発症してから八か月ほど経ったときには日常生活に支障がない程度の痛みまで回復することができました。現在は坐骨神経痛の痛みは全くありません。体のケアが日々の忙しさで疎かになると腰の調子が悪くなってきますので、毎日のケアは欠かさないようにしています。
あなたもきっと、大丈夫です
これが私の経験した坐骨神経痛の顛末です。現在坐骨神経痛を始め、様々な慢性症状で痛みやしびれに苦しんでいる方々の希望の灯火になっていただけたら幸いです。大丈夫です。時間はかかるかもしれませんが、あなた自身に頑張る気持ちがあれば、あなたもきっと、治ります。少なくとも、今の状態よりは良くなるはずです。諦めないでください。
こちらで坐骨神経痛についてお話させていただいています。
こちらのお役立ち情報で坐骨神経痛の改善ポイントについてお話させていただいております。